江戸時代の生活 そのイメージは嘘!?農民の暮らしを知ろう
2018/05/31

江戸時代の生活というと、階級社会で位の高い人とそうではない人の貧富の差が激しいイメージがあります。
特に農民というと生活が苦しいイメージもありますが、近年の研究で農民は豊かな生活をしていたという説も出てきているそうです。
江戸時代の農民はどんな生活を送っていたのか、食生活や村人との関わり方などをまとめてみました。
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この記事の目次
江戸時代の農民の1日や休日の生活状況を知ろう
江戸時代の農民の一日の過ごし方
江戸時代、農民の朝はとても早いです。太陽が昇る前には起きて周囲が明るくなり始めた頃には畑で作業を始めていることが一般的でした。
早くから行動し、日が沈むころにようやく家へ帰ります。
夕食を家族で囲んで食べ終わると、藁を編んで内職をしたり明日のために農具のお手入れをしたりして一日を過ごします。
このような農民の生活は慶安の御触書に「早起きし、朝は草を刈り、昼は田畑を耕作し、夜は縄をない、俵を編むなど、それぞれの仕事をきちんと行なうこと」と記されていたため、このようなリズムで生活していたのであろうと推測されているものです。
また農民には「休日」というものはありませんでしたが、お盆やお正月、お祭りの時は休みになり年間50日くらいは休む日があったとされています。
休みと決められた日は、畑作業をしてはいけないと決められていたようです。
江戸時代の農民の生活では、ご近所付き合いが大切だった!
農民のすごいところは生活用品をなんでも手作りするところです。
畑でも同じで、稲を作るために必要な水田も水路は自分たちで作り上げ、草を刈ったり山から薪を集めたりするのは近くの村どうしで協力し合うこともあったようです。
年貢を納めるのみ必死な農民は周りと助け合う事が生活の上で必須な事だったのです。
近所の人達が助け合う事を当時は「ゆい」と呼んでいました。田植えや稲刈りなどの人手が足りない時にはこうした「ゆい」の仲間が助けにきてくれたのです。
江戸時代には少し農民もお金を持つことができるようになっていきましたが、お金で物を買うという習慣はまだなかったため、自分たちでは作れないような品や薬などに関してはお金を払って手に入れるようにしていたようです。
また年貢のわりあてや村で使う費用などの話し合いなどの大切な決め事は、寄合を開き近所の者同士が意見を出し合い協力して暮らしていました。
村の方針に従えないような人は村から追い出されたり村人に強く当たられたり辛い仕打ちをされていました。
この時代の農民は近所の助けがないと生活していけないような仕組みになっていたので、村という組織に順ずることはとても大切な事だったのです。
江戸時代の食生活は?農民も白米を食べることが出来たのか?
米を作る農民であっても白米を食べるという事はありませんでした。白米を食べることができたのは、身分の高い一部の人々だけです。
一般的な農民や町民は白米ではなく、玄米やアワやひえなどを食べていました。
今では白米が一般的で、健康志向の人が好んで玄米などを食べていることから今とは真逆の状態だったのですね。
ですが江戸時代になると、江戸限定で農民も白米を食べることができる時代となりました。
白米を食べたいがために、一般庶民が江戸へ詰めかけたことをきっかけに江戸は急速に発展していったのです。
そして1日3食というスタイルが確立されたのもこの頃です。
なんでも腹持ちの良い玄米に比べて白米はすぐにお腹がすくので1日3食食べなければ空腹で辛い思いをしていたのです。
また白米を食べに訪れていた人々が郷に帰る頃には体調が悪くなっていることが続きました。
このことを奇病の「江戸患い」などと当時は噂されていましたがその原因は白米にありました。
江戸時代の人は白米を中心にした質素な食事で今のようにたくさんおかずがあり栄養満点という訳にはいきませんでした。
白米ばかり食べていたのでビタミンB1が欠乏し脚気という病気になっていたのです。
ですから里へ戻りビタミンB1が豊富な玄米を食べることで体調は戻ったと言われています。
江戸時代の農民の生活は苦しいものだった?
農民の仕事の中心は米を作る事でした。農業が進歩する前は米もあまりたくさん収穫できず、農具も粗末な物だったので米を得るにはとても苦労しました。
農業が少し良くなったのは江戸時代になってからです。農具も改良され効率的に収穫の量を増やすことができるようになっていきました。
そして収穫量が増えても年貢の量が増える事はなかったので、農民にも余裕が出るようになり食べるものに困るようなことは減ったとされています。
また手先が器用な農民は副業で商品を売るなど、収入を得ていたので、中には裕福な農民もいたとされています。
江戸時代の平均寿命は?農民は老後も働けるだけ働く生活だった?
江戸時代に隠居ができるというのは贅の極みでした。老後も体が動くうちは働き通すことが一般的な流れでした。
江戸時代の人々の平均寿命が気になりますよね。17世紀の平均寿命は30歳で、19世紀の平均寿命は40歳ほどと言われていたそうです。
本当に短命だったのですね。
特に一般庶民は武士よりも短命でした。その中でも女性は出産で命を落とすことも多かったため平均寿命で表すともっと若くして命を落とす人が多かったようです。
まだ医療が発達していない時代のため、生まれたばかりの乳児が伝染病にかかり命を落とすことも少なくありませんでした。
江戸時代に入り、無事大人に成長する事ができれば70歳近くまで生きる人も出てきました。